当たり前といえば、当たり前ですが、
ゲイやレズビアンなどのLGBTミュージシャンって、昔から存在します。
しかも、中には、セクシャリティをオープンにして、活躍していた人もいます。
今回ご紹介する、トニー・ジャクソンは、そのうちの一人。
彼は、稀有な才能を持つ、天才的なゲイのピアニストです。
・どんな場所で活躍していたのか?
・どんな音楽をやっていたのか。
・ゲイをオープンにして活動して、苦労はなかったのか?
こういったことを、一緒に見ていきましょう!
トニー・ジャクソンの活躍の場と、その音楽
時代は、1800年代末〜1900年代初めの頃まで、遡ります。
活躍の場は、アメリカのニューオリンズでした。
ニューオリンズは、港町。
そこには、ストーリーヴィルと言われる「売春地区」が、ありました。
当時は、そういった売春宿で演奏するミュージシャンが、たくさんいたんですね。
トニージャクソンは、10代のうちから、そこで活躍していました。
彼は、とにかくピアノが上手かった。
どんな曲でも一回聴けば演奏できたし、
歌もめちゃくちゃ上手かった。
そしてパフォーマンスもハッピー感が満載だったようで、多くの人を魅了していたそうです。
トニー・ジャクソンの才能は、逆境すらはねのけた
彼は、貧しい家庭に生まれ、外見も美しくなかった。
でも、そういった部分を跳ね除けるくらいに、素晴らしいエンターテイナーだったらしい。
ストーリーヴィルの「ベストエンターテイナー」とまで、言われていたそう。相当スゴそうです。
同じエリアで活躍していた他のピアニストたちも、みんな彼に圧倒されていたようです(ちなみに、「ジャズの創始者」を自称したジェリー・ロール・モートンっていうミュージシャンがいて、彼もトニーに圧倒されいた一人)
どれだけ凄かったんだろう、って気になりますよね。
演奏、聴いてみたいですよね。
演奏を聴いてみたいけど…
でも、残念ながら、彼は一切レコーディングしてないんです。
maLuco
彼が作ったヒット曲の一つには、「pretty baby」という曲があります。
オリジナルの曲を聴くことはできませんが、
他のミュージシャンによるレコーディング音源はあって、
例えば、このBilly Murrayによる音源は、大ヒットしたそう。
いろんなバージョンが、Youtubeで検索すると聴くことができます。
この曲は、トニーが当時惹かれていた、男性娼婦について書いて曲らしい。
オープンリーゲイの存在は、狭いエリアでしか影響力を持たなかったのか?
(画像引用元:wikipedia)
トニーのようなゲイをオープンにしてたミュージシャンがその頃からいたなら、
どうして彼を追って、その後オープンリーゲイなミュージシャンが、続出しなかったのか?
かなり昔のことなので、今ではもう詳しい事情は知ることはできません。
でもやっぱり人気があったとはいえ、大変な事も多かったんでしょう。
ニューオリンズでの活動に、息苦しさもあったようで、彼は、もっと自由な空気のあったシカゴに引っ越しました。
そして、シカゴのジャズシーンに多大な影響を残したものの、1921年に亡くなってしまいます。
(正確な誕生日が不明なのですが、おそらく30〜40年の人生)
ここまで才能のあった、トニー・ジャクソン。
彼が、もしレコーディングとかして、アメリカ全州で有名なミュージシャンになっていたら、オープンリーゲイのミュージシャンが、もっと増えていたかもしれない。
そんな風に思いました。
ちなみに2011年に、トニー・ジャクソンは、シカゴの「Chicago Gay and Lesbian Hall of Fame」で称えらえています。
maLuco
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