ずっと、親にカミングアウトがしたかった。
自分がレズビアンだと言わない限り、まるで「仮の姿」を見せているような感覚。
これまでの29年間の人生、ずっとそうでした。
だからと言って、カミングアウトすべきかどうか、これは簡単に答えが出せるものではありません。
「同性愛?治さないと」
「理解できない」
想像するだけで絶望的な、そんな反応が返ってくる可能性もありますよね。
しかし、あるキッカケによって、私は両親にカミングアウトする機会を得ました。
なので今回、その体験談を書こうと思います。
レズビアンと、親にカミングアウトするに至った経緯
節目を前にした、29歳という年齢。
私の人生設計を改めて聞きたいと、突然両親は連絡してきました。
人生設計、人生。。
「レズビアン」であるということは、私の人生の一部。
なので、少しだけ悩んだ後、これをキッカケに、親にカミングアウトしようと決意しました。
レズビアンだとカミングアウトする直前、心臓が飛び出しそうに
運命の日。
特急列車に乗って、実家へ。
道中は緊張なんて全くしてなかったのに、ついにカミングアウトする瞬間が訪れたとき、心臓のバクバクが鳴り止まない。
なぜか、涙も溢れそうになってくる。
でもでも、言うしかない。
深く深呼吸をしたあと、思い切って、、
「お父さん、お母さん。私は女の人が好きなんだ。」
意外だった、レズビアンのカミングアウトを受けた両親の反応
俗にいう、頭の固い両親。
そんな両親が、カミングアウトを受けてどんな反応をするのか、正直全く予想ができませんでした。
というか、予想するのが怖かったのかもしれません…
でも最悪、勘当されたらされたで仕方ない、と腹をくくっていました。
しかしながら、現実はもっと優しいものでした。
両親は、少しビックリしていたけれど、すぐに「そっかそっか」といった感じで頷き、そして「何となく気付いていたよ」と言ってくれたのです。
レズビアンに対する、両親の意外だった反応
そこから、2時間ほど色々な話をしました。
何もかも正直に、親と話が出来たのは、人生で初めての経験でした。
男の人とも付き合ってきたけど、どうしても愛せなかったこと。
いま長く付き合っている彼女がいる事。
姉妹や周りの友達は、みんな私がレズビアンだって知っているということ。
セクシャルマイノリティであるがゆえに、今までキツかった事もあったけれど、そういった乗り越えるべき壁があったからこそ、今の自分がいるという事。
話は尽きませんでした。
驚いた事に、お母さんは、渋谷区の同性カップル証明書のニュースを知っていて。
日本でも同性婚ができる日がくる、と言ってくれました。
お父さんは、彼女に会いたいとまで言ってくれました。
レズビアンだとカミングアウトした感想「まるで海外から帰ってきたみたい」
東京に帰ってきたとき、まるで海外から帰ってきたような感覚でした。
両親が「同性愛者である自分」、つまり「ありのままの自分」を受け入れてくれた。
今まであまり味わった事のないような、何か大きなもので守られている、心強さ。
今後、レズビアンであるということで、苦しむことがあったとしても、私はもう大丈夫だろうとさえ思えました。
本当にカミングアウトしてよかった。
「言ってくれてありがとう。」
これは最後に両親が、私にかけてくれた言葉です。